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質問 27

瞑想修行において、謙虚さにはどのような意義があるのでしょうか。

人間の本性の奥深くには、自分を重要な存在と見なし、認められたいと願う本能的な欲求がある。個人的な長所や目覚ましい成果は、容易に誇りや傲慢を生み、それがやがて転落の種をまく。

瞑想の道において、謙虚さは精神的進歩の土台となるため、極めて重要である。自分を褒めたり、自分は特別だと考えたりすれば、瞑想修行は後退し、さらに悪ければ深刻な心理的混乱へ至ることもある。ひとたび傲慢が生じると、心は乱され、ますます落ち着きを失い、不浄になってゆく。したがって、生涯にわたって謙虚さを育むことが欠かせない。

日常生活では、自分がなお不完全であることを忘れず、常に他者を尊重し、その価値を認め、誰もが才能と徳において自分を上回るよう願う心を育てるべきである。また、自慢は傲慢を助長し、謙虚さを守るという道徳的な決意を損なうため、意識して慎まなければならない。何らかの技能や知識があるなら、こう自分に言い聞かせるべきである。「私は一つの分野に長所があるかもしれないが、多くの分野では不足している。この世界には、私よりはるかに有能で才能ある人が数えきれないほどいる。」

謙虚さは完全な悟りに至る瞬間まで育み、守り続けなければならない。そのとき初めて、微細な束縛である慢、すなわち傲慢の本能(Māna)が完全に断たれるからである。深い瞑想状態を経験するときには、このことがさらに重要になる。並外れた体験によって、自分が重大な精神的段階や、さらには聖者の境地に達したと誤信することがある。この錯覚は自己賛美、他者への軽蔑、自慢を生み、ついには真に悟った方々への不敬につながりかねない。このような傲慢は功徳を大きく失わせるだけでなく、瞑想修行を乱し、妨げる。

なお凡夫でありながら自分を聖者だと思うだけでも、すでに重大な精神的堕落であり、深い苦しみや悪趣へ至る原因となりうる。修行の道を進めば進むほど、私たちはこの究極の真実を繰り返し心に刻まなければならない。すなわち、心の奥には今なお無明と過ちが残っている。この自覚を保つことで謙虚さを守り、精神的修養の安定と永続性を確かなものにできる。

瞑想仏教問答謙虚さ道徳功徳深い禅定悟り禅那宗僧院

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